2009年12月4日金曜日

南 子ノ権現天龍寺


十一面観音(享保16(1731))と大日如来(元禄9(1696))























十一面観音アップ
石像にしてはふくよかな表情。






















十一面観音・大日如来と読誦塔・写経塔群像
















大日如来(享保16(1731))
天台密教では釈迦如来を本尊とするのに、なぜか東密系の
大日如来が多く釈迦如来の石仏はみられない。
















大日如来(元禄11(1698))
















地蔵菩薩(文政8(1825))






















(番外)観音堂内の木造観音菩薩群
お堂のなかなので遠くからのぞくだけだったが、ひょっとして
円空仏?

南457

巡拝塔(寛政4(1792))
「諸国神社廻國供養塔」の銘がある。諸国神社を廻ったというのは、ずいぶん欲張りな供養塔ともいえるし、すべての神仏にすがりたいという切実なねがいがこめられているともいえる。上部の雲にのっているのは大日如来のようだ。

中藤下郷 バス停堂西の北

馬頭観音(文化10(1813))
頭髪が炎のように逆立っているので、いっけん不動明王かと思ったが、トレードマークの馬がしっかりと刻まれている。

2009年12月1日火曜日

仲町29-5 入子地蔵堂

入子地蔵尊(寛延3(1750))
説明板によると、徳川八代将軍吉宗のころ当地に住んでいた入子彌兵衛が大洪水で流出した官木を盗んだ廉で投獄された。ある大雨の夜見知らぬひとに導かれて、気づくと自宅まえにかえっていた。無実が判明して自由の身になった彌兵衛は、日ごろ信仰していた地蔵菩薩のおかげだと信者とともに地蔵菩薩を造立したという。
すぐ近くには薬師堂もある。





















入子薬師堂


飯能278 松葉庚申堂

庚申塔
馬頭観音のトレードマークの馬が頭についており三猿もない
ので、馬頭観音とおもわれるが・・・
庚申塔だとすると主尊が馬頭観音で、しかも坐像の庚申塔は
めずらしい。

飯能 大六天神社

大六天神社























伝畠山重忠の板碑(鎌倉時代)
大きな樫にくいこんで立っている。
二俣川(神奈川県横浜市)で北条の大軍
と戦って討死した、重忠はここを通ったの
だろうか。

 

飯能 多峯主山

石経供養塔(明和2(1765))















馬頭観音(寛政9(1797))















御嶽八幡神社説明板















御嶽八幡神社の不動明王
造立年はわからないが、比較的新しそう。





















御嶽八幡神社の前岩
説明板にあるように、前身は御嶽神社、そのまた前身は琴平宮。
そもそもは、頂上ちかくの涸れることのないといわれる雨乞いの池とこの大岩(磐座)が信仰の対象だったのだろう。

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