入子地蔵尊(寛延3(1750))
説明板によると、徳川八代将軍吉宗のころ当地に住んでいた入子彌兵衛が大洪水で流出した官木を盗んだ廉で投獄された。ある大雨の夜見知らぬひとに導かれて、気づくと自宅まえにかえっていた。無実が判明して自由の身になった彌兵衛は、日ごろ信仰していた地蔵菩薩のおかげだと信者とともに地蔵菩薩を造立したという。
すぐ近くには薬師堂もある。
入子薬師堂
埼玉県飯能市内の路傍や寺社の境内にたたずむ石仏の近影です。 資料として『飯能の石仏―ふるさとの証言者―』(飯能市教育委員会 平成元年3月31日発行)と『名栗の石仏』(名栗村教育委員会 昭和57年3月20日発行)を参照させていただきました。 なお、石仏は原則的に江戸時代の彫像のみをアップし、文字塔は省きました。 撮影条件がわるく、画像のできのよくないものは逐次とりかえる予定です。
0 件のコメント:
コメントを投稿