2009年11月24日火曜日

小瀬戸 新福寺

新福寺参道の地蔵菩薩
急坂をのぼると、入口の両脇で地蔵たちが迎えてくれる。
いちばん手前の一段高い台座にすえられているのは左右とも「皇紀2600年」と刻まれている。
皇紀2600年は西暦1940年にあたる。(零式戦闘機もこれにちなんで名づけられた。)ということは、日中戦争(1937)から太平洋戦争(1941)へと時代が押し流されていくなか、これらの地蔵も国威発揚の一翼をになうべく造立されたのだろうか。「皇紀」とは、いまの時点でかんがえれば、きわめて神がかり的で時代錯誤の負の遺産でしかない。
菩薩のなかでも日常の最前線で苦しみをとりのぞいてくれるはずの地蔵菩薩も、そのような銘をきざまれてさぞかし迷惑におもったのではないだろうか。















地蔵菩薩(右:嘉永2(1849) 中央:寛政3(1791) 左端は「皇紀2600年」のもの)
嘉永年間の地蔵はアルカイックな面立ちをしている。























地蔵菩薩
左の小さい方は埴輪のように角がなくなっている。
大きい方は台座に「皇紀2600年」と刻まれている。

0 件のコメント:

コメントを投稿

フォロワー