2009年10月29日木曜日

大河原 八耳堂(太子堂)

八耳堂脇の石仏たち
八耳堂は街道の向かい側にある金蔵寺の仏堂で、うらてには築山と籠り堂の跡がのこっている。籠り堂には戦時中、有名人が疎開していた。その建物も台風でこわされ、いまは礎石が放置されたままになっている。
八耳堂の手前には地蔵のほか、宝篋印塔も据えられている。














六地蔵菩薩(六面幢)





















地蔵菩薩群
中央の地蔵は胸板があつく、鳩胸のがんじょうなつくり。右は安永4(1775)の造立で、道標も兼ねており、「ひだりみたけみち」「右子の権現みち」と読める。
南に滝涯山の峠道をこえれば苅生(かろう)に出、御岳へとつうじていたのだろう。
ちなみに、ここから少し西へいった大河原815にまつられていた馬頭観音には「苅生」の道標がついてたという。また、名栗川をはさんだ北の正面には多峯主山がそびえている。















八耳堂案内板
再建時期が文政3年(1802)とあるのは、文政3年がまちがいなければ1820年が正しいのでは?

0 件のコメント:

コメントを投稿

フォロワー