右端は平成のものだが、それ以外はすべて頭部がすげ替えられている。これも廃仏毀釈の証明だろう。ここから近い赤沢金錫寺の地蔵もその犠牲になっていた。とくに破壊仏のめだつ地域だ。その背景は何?

埼玉県飯能市内の路傍や寺社の境内にたたずむ石仏の近影です。 資料として『飯能の石仏―ふるさとの証言者―』(飯能市教育委員会 平成元年3月31日発行)と『名栗の石仏』(名栗村教育委員会 昭和57年3月20日発行)を参照させていただきました。 なお、石仏は原則的に江戸時代の彫像のみをアップし、文字塔は省きました。 撮影条件がわるく、画像のできのよくないものは逐次とりかえる予定です。
0 件のコメント:
コメントを投稿