左端の頭部の完全なのは明治45年の造立。他はすべて顔が
すげ替えられている。ということは、武州一揆の激動のなかで、
あるいは明治初期の廃仏毀釈の潮流のなかで頭部がすべて
こわされた。
一揆から半世紀を経た明治末に、石仏たちを悲しんだ信者(施
主=服部幸次郎)が復旧し、さらに完全なかたちの地蔵菩薩
をあたらしく据えたのだろう。ちかくの赤沢中屋敷集会所内の
地蔵たちもすべて首がすげ替えられている。
武州一揆のさい、幕府権力の末端組織としての寺・仏教へ
の遺恨がよほどつよく破壊にいたったのだろうか。それとも赤
沢地区には狂信的な神道信奉者たちが多かったのだろうか。
破壊仏のめだつ地域だ。

春のある日
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